pazuのノスタルジックな道具

愛着の道具と遊びの回顧録

ABU アンバサダー5500C

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初期の5500Cは義父にもらったものです。アンバサダーとABU人気の最初の発端は開高健の「フィッシュ・オン」初版ではないでしょうか。昭和49年でした。開高さんが釧路湿原でイトウを狙うが全くの当たりなしの情景がサントリーオールドのテレビCMになって流れたのは高校生の頃でした。“ナクネク河の恐怖と言われた”には大受けでしたが“いったい日本はどうなるのだろう”で心に堪えるものがありました。サントリーのCMはちょっとした財産だと思いますね。ユーチューブで歴代のサントリーCMを見るのは極上の愉しみで下手な特番ドラマ2時間分のはるか高みにいると思いますね。

義父は開高さんが釧路湿原を訪れたはるか前に宗谷や猿払の原野をイトウを求めて彷徨い歩いたそうです。根っからのABUファンで最初に書斎のABUコレクションを見せられた時には唖然としてヨダレが出そうでした。全てのABUが新品でそこにありました。別に使い込まれた愛機が一通りあってイトウ以外にもカレイ、ソイ、タラの6000番、7000番まで全てアンバサダーで通していました。もう亡くなりましたが彼が飽くことなくイトウ釣りや北の原野のことを話すのですが○○沼で天然のヒブナ(緋鮒)を見つけた話や昔は稚内市内の声問川でも大型のイトウがバンバン釣れた話など・・・河口近くに水産加工場があって川に流される処理後の内臓などがイトウの豊富な栄養にもなっていたようです。今イトウは絶滅危惧種です。開高さんが40年近く前に釧路湿原のイトウの減少を嘆いていったい日本はどうなるのだろうと言いましたが日本はこんな国になっちゃったんですよ。

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