pazuのノスタルジックな道具

愛着の道具と遊びの回顧録

薪伐り道具

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いよいよ春らしくなって今日オープンのゴルフコースが多いようです。昨朝急に友人からゴルフの誘いがありましたが歯医者の予約で断念。昨年はゴルフで予約を2回すっぽかしたのでガマン。

陽射しも暖かく日も長くなってくると薪ストーブの役目も終わりです。今時期寒いからとストーブに火を入れるとすぐに部屋が暖まりますが間もなく暑過ぎて窓を開けっぱなしということになります。ですので薪はもう終了です。お世話になったチェンソーやらテーブルソーは掃除メンテナンスをして来シーズンまでお休みということになります。でもチェンソーのオイルまみれの鋸屑を除去するにはエアコンプレッサーが無きゃ大変かも。タイヤ交換やら他の用途でも使えるし用意して損はないのかな。

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日立のチェンソーとタナカのチェンソーがシーズン初めに不調でメンテナンスに出しましたら行先はどちらも日立工機(HIKOKI)でした。タナカが日立工機に吸収されて今はどちらもHIKOKIということらしいです。素人が2サイクルのエンジン調整などと甘く考えてやるとメチャクチャになりますね。デリケートでビックリ。じきに修理見積の連絡が入るとキャブレター交換等で高い。結局代替えすることにして機種を調べましたらスチールが良いのかハスクバーナが良いのかゼノアがいいのか素人には判りません。木こりを生業にしてるわけじゃなし急ぎ購入したのがリョービでした。ゼノアのOEM(廉価版かな)らしいがどうなんでしょうね。でもまあ働いてくれました。目立ても上達しました。それとSK11のテーブルソーは活躍しました。ご苦労様といったところです。明後日は初ゴルフです。雪の予報で心配。

バードテーブル

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昨年だったか一昨年だったか忘れましたが庭に野鳥が沢山遊びに来ているようで春になるとスズメ夫婦も子育てに超多忙の様子。ガレージの棚を見ると何時だったかニセコの道の駅で買った青米が数袋置きっぱなしでヨシっ!子育て支援援助交際させてもらおうと餌台拵えました。バードテーブルとかいう庭道具ですね。30分もかからずに仕上がりエゾマツが痛くないように登山用ザイルでぶら下げました。力作ではないのですが雪の重さにも風雨にもよく耐えています。

 
この冬はスズメはもちろんヒヨドリアカゲラなどがよく来ます。先々週驚いたことがあって朝方カーテンを開けて餌台を見るとエゾリスがいます。逆さまになってエゾ松を下り降りるとボクの足元にまであっという間に近寄ってベランダのガラスに四度体当たりをして庭の奥の方へ消えていきました。ガラスに映った自身の姿をライバルと勘違いしたものでしょうか。あっという間の出来事でしたがジンワリうれしくなって至急オニグルミを用意してそこら中に撒いたのですがそれっきりです。
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ところが先週さらに驚いたことがあって同じ朝方ですが今度はエゾテンが目の前にいます。またまた忙しく消えていきました。なんということだ!我が庭にテンが来たぞ!なんてかわいい顔してるんだろって。ところであれはイタチかテンかミンクか???ネットの画像で調べますとやはりテンのようです。せめてレンズに収まってシャッター切らしてほしいのですが動きが忙しすぎます。テンちゃんは何が好物かってとりあえず肉だろってことで冷蔵庫にあった豚ロースを細い針金でチャーシューよろしくグルグル巻いてエゾ松に縛り付けておきました。翌朝見ると肉のカタマリが忽然と消えています。???? 早速現場検証のため雪山を超えて行きますとどうやら狐のようです。この辺も中々にワイルドになって来たようです。そのうちラスカルとかヒグマとかも貢ぎ物しだいでは来てくれそうです。昨年の晩秋の穏やかな夕暮れにエゾシカの鳴き声を聞きました。百人一首の猿丸太夫の感じそのものでした。鹿ってああやって鳴くものかってね。オマエどこの山奥に住んでんだって言われそう。はい、奥山です。
 
 
奥山に紅葉踏みわけ鳴く鹿の声聞く時ぞ秋は悲しき
 
 

 

 

ホンマ DM-700TX

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昨年の11月の初めにT字煙突を買おうとホームセンターに寄りましたらホンマのダルマストーブが目に飛び込んできました。まだ売れ残ってるじゃん!オマエを始めて見た時から10か月近くも経つのに誰も買ってくれないのかい?相変わらず背が高くてナイスなプロポーションだね。なんて美しいんだいって語りかけてたら無性に拉致して帰りたくなりましたね。実際拉致しちゃいましたが。組み立て済み展示品なので後日宅配ということになりました。ダルマストーブは脚はもちろんのことボルト締めで4~5パーツに分かれています。なので工場出荷段階では小さく梱包されています。大きなステンレスボウルが重なったような感じ。点火後に思ったことですがやはり組付けは自分でやるべきだと思いましたね。きちんと組んでも鋳物ですからピッタリとはいきません。吸い込みが良ければ多少の隙間など問題ありませんが吹雪やらで吹き込んだ時などは室内に灰が舞いますね。ガスケットロープを使えば問題は解消されると思いますがね。でもこのストーブ同棲の頃というか新婚の頃に使ってたよなあ。30年以上も前になるのかな。

さて設計図を詳細にみて煙突のセッティングも終わって配達を待っていますと届きました。重量は60kg程度なので昨年購入したノザキの半分といったところです。床下の補強も集合煙突入口の拡張も必要のない106サイズで取付けはすぐに完了しました。ただ鋳物のダンパーが間に合わず後日取付けすることにしました。あらためて立ち姿を見るとなんとも凛々しいのですが自分には原子炉って感じ。原子炉に1個、煙突に1個温度計をつけて点火式を執り行いました。

なんだか去年のホンマとは燃え方がまるで違います。バーナー10秒であっという間に燃え上がると炉の温度が300度を超えても温度計の針がさらに上昇します。400度になろうかという時に慌てて下部の空気流入を全て閉じました。試運転用にオガライトを詰めたのですが多すぎたようで原子炉の暴走が始まりました。ダンパーが無いのが致命的で煙突は赤くなって家燃やしちゃうかもなんてビビりながらも火勢の衰えをじっと待つのだけど長かった。慣らし運転どころか炉が壊れちゃう。

この続きとシーズン終えての使用感等はまた後日。

酒タンポ

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本錫製の燗付け器です。本錫は錫100%ではありません。100%が純錫で本錫は97%、ちなみにピューターは90%程度とのこと。本錫タンポで燗をつけると酒が一級上がるといいます。タンポかチロリかは地方によりますが同じものです。でもこの片口取っ手スタイルはボクの中ではタンポ(湯婆)そのものです。昔はニシン番屋などでは真ん中に炉が切ってあって炭火の周りの木灰に刺して燗をつけるゴッペというのもありました。あれは美味そうです。

 

このタンポは自宅で燗酒を飲るときの自分専用です。2合タンポだと最後は冷めちゃうのでやはり1合が具合がよろしい。卓上IHレンジに雪平鍋を乗せてこのタンポを数本入れて好みの温度に設定しておけばグビグビいけます。最近は日本酒を飲らなくなりました。美味しく感じなくなりました。酒が不味くなると身体に疾患をかかえてると聞いたことがありますがそうかもしれませんね。

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SEIKO AGS Spirit

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キネティックと呼称する以前はAGSと言っていました。25年ほど前にこのSpiritとSUSを一緒に購入してこのspiritを父にプレゼントしましたが先年亡くなったのでボクの手元に戻ってきました。父もこのシステムが腕の動きでネジを巻くのではなく発電して電気エネルギーで動作するということにえらく感じ入ったようで誤差も少なくお気に入りでした。いっしょに酒を飲むたびにこの発電時計を褒めるのでKINETICの鎖バンドをもう一個プレゼントしました。中々品が良かったこのKINETICも気に入って腕にしていましたが死の一週間ほど前に急に動きを止めました。寝たきりの病人の腕の動きじゃ電力が足りないのだろうと思ってかなりフリフリしましたがすぐに止まります。二次電池の限界かと思われたので翌日家からブライツを持ってきて腕にはめますが痩せ細って時計が肘の方へずれ落ちてなんとも不憫でした。間もなく父の心臓も止まってしまいました。母の時もそうでしたが時間の感覚が奪われるのを極端に恐れます。いま何時が分からなくなるのも無明のようですね。

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♨温泉・湯治

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まあ道具ではありませんが野遊び道具ということで。

会社勤めの頃は温泉というと恒例秋の観楓会ぐらいでわざわざ家族を連れて温泉場に出かけるということは稀でした。その観楓会にしても飲り過ぎて翌日は後輩の幹事にお願いだから起きて下さいと揺すられて、ゴルフのスタートに間に合いません!ゴルフかぁと目を覚ますと頭が痛い。風呂も入らず飯も食わずでコースに急ぐというのが例年繰り返されるパターンでした。ところがどうしたきっかけかは忘れましたが50歳を過ぎたあたりから急激に温泉好きになります。見渡せば北海道も中々の温泉天国です。熱い湯など拷問かと思っていたのに今は熱くないと満足しません。みんなそうなのかな?今ではスキーや登山はもちろんゴルフまで必ず温泉を絡めるというか温泉がほぼメインです。料理に過度の期待はしません。酒があってお湯さえ良ければそれがご馳走なので気になりませんしむしろサビれた野趣溢れる温泉場の方が○です。

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お気に入りは旭岳温泉、昔は勇駒別(ユコマンベツ)温泉といいましたね。湯駒荘は野趣溢れるいい温泉宿だと思いますね。カルルス温泉のオロフレ荘もいいね。年3回湯治に出かけるのがニセコ五色温泉です。ニセコ湯本雪秩父温泉は日帰り入浴オンリーになりましたが新見温泉は再開したようです。冬季のニセコで我が同胞を見つけるのは稀でスタイルの良い南半球の方々ばかりです。週に一度程通うのが小金湯温泉まつの湯と赤井川のカルデラ温泉ですね。四季折々に良いのですが厳冬期の温泉はシミます。3泊くらいだと湯治にならないし悪いところが出てくるものか身体がガタガタでダルいし自宅に帰って死んだように眠ると翌朝メヤニがベットリで自分は何処か悪いのかって心配になるくらい。源泉に3日で20回は入り過ぎなものか。せめて10連泊くらいはしたいものですが中々。

ノースフェイス Antarctica

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この季節の愉しみは極寒のワカサギ釣りです。最近とんとご無沙汰で準備万端整っているのですがいざ休日になって天候もそこそこになっても気が萎えてしまいます。ホームグラウンドは石狩なので一日中地吹雪は当たり前で条件は過酷です。5〜6人用の専用大型テントも用意しましたがまず強風で張るのが大変。基本七輪を囲んで各々バーボンボトルのラッパ呑みが基本ですので魚の干物やら釣れたワカサギの天ぷらやらで盛り上がりますがじきにテント内の温度が上がって足元が水浸しになります。暖かくて指先も凍れなくて楽なのですが決定的にワイルド感に欠けるのでテントの使用は2度目でやめて従来どおり露天スタイルに戻しました。

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イヌイットのイグルーのように雪のブロックを1.5メートル程度の高さを3メートルくらい半円状に積んで風除けにします。地吹雪は石狩湾側からいつでも一定方向で強くなると体感温度は-20度くらいになる。そうなるとバーボンの味も数段増します。しかし寒さで身体と指先がやられます。このダウンパーカはこれでもかってくらいダウンが詰め込まれています。ダウングースとはいえ驚く程の重量感があります。アンタークティカ(南極大陸)ってくらいですから極地仕様ですね。タウンユースなどにはオーバースペックで完全不向きですね。ボクの場合はワカサギオンリーです。真冬の星空を眺めるにも良いかもしれませんね。これは初期型で2000年頃のデビューだと思います。ところで下半身はどうなってるかって?これも骨董品のモンクレールのモッコモコのダウンパンツです。指先はサシやイトミミズを餌に極小の秋田狐(針)に付けなければならないので素手でなければ無理です。なのでグローブにも試行錯誤がありましたがゴム手袋になりました。それはまた今度。

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SOREL カリブー

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今日は62年ぶりの大寒波とのこと。この季節になると足元は3種類のみになります。普段履きはメレルのルナーモック、除雪はカミック、山歩きはソレルです。ソレルもカミックも靴底がゴツくて車の運転には向きませんね。最近ボケてきてるのでアクセルとブレーキをいっしょに踏んだりしてね。怖い。それにヒーターで暖められて中に汗かいてフェルトが湿っちゃう。
冬場の野外で足が冷えちゃうともうアウトです。ジンジン痛みだして指の先から感覚がなくなってきます。そういった辛さはソレルと出逢ってからは皆無ですね。最初だけプレミアムでしたが2代目からはカリブーひとすじで4足目になります。ソレルのソールは昔のゴム長靴と同じ波目パターンでよく滑りますがカリブーはビブラムパターンでグリップが良かったです。いつからかソールがドットパターンに変わりましたね。雪上でも氷上でも意外とソールは減ります。最近は年齢と共に活動量が激減したのもありますが直歩きは少なくゾンメル板を履くのでソールが減りません。

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ゴムアッパーとレザーの組み合わせはL.L.Beanのハンターが最初かと思いますがあれは山菜採りに履きましたがあのチェーンソールのグリップがイマイチで友人に放出しました。作り込みはソレルの方が数段上のように感じますね。

HOPE MARKER

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ホープマーカーって懐かしい響きがあります。それまでのカンダハーとは一線を画すチョイ舶来の雰囲気がありましたね。こんな小さな三角形でスキー靴が固定出来るのか?なんて最初は不思議でしたけどね。十代初めから中頃にマーカーを知ってロシニョールを知り皮革のドロミテブーツに憧れて考えてみるとブランド品との出会いはスキー用具が最初であったように思いますね。

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ホープマーカーは西独マーカー社との提携商品でたぶんマーカー社のOEMではなくホープ(飯塚運動具)製でライセンス契約だったのではないでしょうか。ボクより上の世代はラグリーメンって言いますね。カンダハーしかない小学校時代はシーズン中にだれかが必ず骨折します。ポッキリならいいのですが兄のお下がりのようなバカ長い板で春先の重い雪で滑っていると突如喚き声が響きます。捻れて複雑に折れてるのでみるみる激痛で唇が紫色になっていきます。ヨッシャー!で助けを求めに下界に滑り降りるのはいつもボクの役目で随分苦悶する仲間をみてきました。ドジな奴が多いんですけどね。安全装置付きのビィンディングの開発はあの時代にあっては世界的に喫緊の課題だったのでしょうね。左右の圧力の開放、さらに上下方向、三次元方向へと進化していきますがこのホープマーカーは安全対策第1世代といったところでしょうか。カンダハー末期にもトゥピースに開放装置がありましたが大嫌いでした。すぐに外れてスキーになりません。このあとに第二世代ともいうべきロータマートが一世を風靡するわけですが愛用したロータマートとロシニョールのあずき色のストラートについてはまたの機会に。

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夢酔独言

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NHKBS時代劇で「小吉の女房」ってのが放送中ですが内容はともかくこの小吉という人が驚くべき人物で生涯小普請組(ムヤク)で終わりますが幼少期から放蕩無頼、喧嘩師、剣客、死ぬことなど屁とも思わない。勝の家の貧乏たるやドラマとは大違いで冬季に炭も買えなくて壁板引きちぎって燃したといいます。この家の婿ですが実家の男谷家は裕福で祖父は米山(男谷)検校で小吉の父平蔵に旗本男谷家を継がせます。大名貸で得た利殖で御家人株を買って婿養子に入れて家禄継承ということですね。勝家も男谷家同様に小吉が幼少から婿に入りますが実際は男谷の家で奔放に暮らします。剣聖男谷精一郎信友も検校の孫ですが兄彦四郎の養子に入ってるので叔父甥の関係ですが子分同様でもう一人の従兄弟と三人で地回りのヤクザ共と命のやりとりなんぞ日常茶飯事。こやつら剣を取っても喧嘩をしても幕末最強かと思いましたね。。剣聖男谷精一郎は江戸期最強剣士かと思っていたらこんなヘンな叔父さんまで出てきて驚きでした。


破天荒とはこのオジサンのことで島田虎之介も形無しです。水野の改革の天保年間に逐電した無一文の鼻垂れ小僧が箱根の関所を越えて伊勢参りをして戻るのですから啞然とします。これが一度じゃない。後年夢酔と号しますがこの本はオイラのようになっちゃいけねーよ。戒めにしておくれという子孫への遺誡ですね。小吉関連本も多々ありますががボクが漁るように読んだのは30年も前ですがきっかけは坂口安吾でした。息子の麟太郎も「氷川清話」を遺しますが桁違いのヤンチャぶりです。粗野だけどどこかしら品があって憎めない人物。