子供たちは夏休みが始まりましたね。ボクの子供時代は来る日も来る日も朝から晩まで海に潜っているわけです。夏休みが始まるとすぐに母親に時間割を作らされ明日からは自分で決めたとおりにやれ!とキツく念を押されます。ボクの時代は夏休み帳という宿題があってこれを毎日やってニ学期の始業式に臨むというキマリになっていました。その他に課題があって何か作品を仕上げて持って行きます。金賞、銀賞があって。
まず一日目、二日目は時間割りどおりに午前中夏休み帳をバンバン一週間分くらいやりますがそれが最後です。三日目は朝から友だちが迎えに来ます。これは作戦どおりに数人でかたまってやってきます。みんなが迎えに来てるからしかたないなぁって言いますと猿芝居にあきらめ顔の母が日射病になるから麦わら帽子をかぶれとうるさく言います。男の子はこんな軟弱なものはかぶらねぇと言いたいところをぐっと抑えてかぶると友だちがニヤニヤバカにした眼でみています。すぐとなりの大きな病院のガレージに麦わら帽子を隠して海へと向かいます。海の中はキラキラして生き物が輝く別の宇宙で大満足です。ほとんど獲物で腹を満たすのでオニギリなど持って家を出たことはありませんでしたね。
ニ学期の始業式前夜は夏休み帳の仕上げて四苦八苦します。ところが毎日の天気がわからない。母が毎日日記に天気を記してあるので聞き出します。意地悪をして中々教えてくれないのでテキトーにウソ書くからいいわ!って言うとこの狡賢いガキには敵わんと教えてくれます。問題は課題です。どうにもなりません。オヤジがキレてボクにビンタを食らわしてもう寝ろ!と怒鳴りつけます。さんざんオレの獲ったアワビやウニで晩酌したくせにと腹が立ちますが寝ます。すると翌朝起きると作品は出来上がっているわけですね。それで金賞もらっちゃってバツ悪くって。オヤジに言ったら苦い顔で。でも毎年の恒例行事なのです。しばらく腫れがひきませんが毎日海で終日過ごせればビンタなどカエルの面に小便です。
♫麦わら帽子は夏休み〜は拓郎の歌ですが幼き頃を想います。今は日射病という言葉も聞かなくなり熱中症ですね。麦わら帽子をかぶって走ってゆく男の子たちの歓声も聞こえなくなりました。公園にすら子供の姿なく衰退国家を象徴しているかのようです。
昭和44年『男はつらいよ』第一作目で寅が久々で古郷柴又に帰ります。マドンナは御前様の娘冬子役で光本幸子でした。最後に寅がステテコ、鉄火シャツに麦わら帽子姿で釣竿を2本持ってルンルンで帝釈天に向かいますが冬子の婚約者を見ちゃってね。とらやの押し入れで野獣が心の傷を癒す...泣けてきます。
「母さん、僕のあの帽子、どうしたんでせうね?
ええ、夏、碓氷から霧積へゆくみちで、谷底に落としたあの麦わら帽子ですよ。」