pazuのノスタルジックな道具

愛着の道具と遊びの回顧録

ペン立て

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札幌オリンピックも終わった昭和40年代後半に丸井マルサがオープンしました。4プラのようなテナントビルで地下に雑貨のSONYプラザ、5階あたりにテイメン(テイジンメンズショップ)が入っていてよく買い物をしました。何かのキャンペーンで海外の雑貨をいただきました。水差し2個と他は記憶にありません。水差しは二つともスペインのもので鶏型のものは落として割ってしまいましたがこの水差しはペン立てとして45年近くそばにいます。なんとも面白みのある暖かいデザインで気に入っています。あの界隈は年に1~2度三平のラーメンを食べに行くくらいなのでマルサが今でも営業しているのかさえ知りません。
 
 
 
 
 
 
 
 
昭和48年にオイルショックがあってススキノでタクシーがつかまらなくて難儀した記憶があります。記憶がゴッチャなのですがその頃にマンモスキャバレー“エンペラー”がオープンして開店3日目に先輩方といった記憶があります。ススキノスケート場はそれ以前に消えました。狸小路にクレージースポットという踊り場がありましたね。昭和50年になると生バンドからディスコへの端境期を迎え成人式を終えたボクはススキノから消えて札幌からも離れました。生まれ故郷や若き頃ハメを外した歓楽街などというものは歳をとって足を踏み入れるものじゃないですね。思い出に歪みが生じます。
 
 
 
 
 
 
 
マルサの最上階の中華屋さん、なんて言いましたっけねぇ?シュウホウ?シュウザンか?あそこのナマコのあんかけを親父に勧められて美味かったなあ。小指か人差し指大のキンコ(干しナマコ)を中国人はよくここまで大きく戻しやがるよなぁと感心していましたっけ。箸で切れますもんね。それと当時つきあっていた子が麻雀で大勝ちしたから美味いもの奢るってことでやっぱりマルサの資生堂パーラーに行ってエスカルゴ食べましたっけ。あれはガッカリでしたが変なことばかり憶えています。
 
 
 
なんか当ブログも変な方向に行ってませんでしょうか?年寄りの回顧録風になってきてるような...