pazuのノスタルジックな道具

愛着の道具と遊びの回顧録

土鍋

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鍋はなんにしても好きで寒い時期に限らず頻繁にやります。若い頃は飛騨コンロに炭を2〜3個入れて一人で小鍋立てを楽しんだものですがやはり鍋の醍醐味は皆で囲んでやると話も酒精も弾けるということのようです。小さい頃は冬場になると親父が牡蠣ちりを好んでオフクロに用意させます。ポン酢モミジおろしでやりますが白菜と豆腐とシラタキぐらいで子供には淡白過ぎて面白くありません。今は違います。これがとても良い。牡蠣の淡い出汁がたまりません。

 父は幼少時には寝汗がひどくて洗髪嫌い。頭部も汗で濡れて乾くとほんのり酸っぱい匂いがしていたようで末っ子の父の2つ上の姉の付けたあだ名が"酢酸アタマ"。バカにされて泣いて取っ組んでも返り討ちが常で心配した父親が何処で聞いたか寝汗には牡蠣が抜群の効能があるということで軍の知り合いに頼んで広島から満州まで空輸した牡蠣が定期的に届くことになって、これが父には地獄の始まりであのヌルっとした食感に身の毛がよだつ。辛さに箸を持ったまま涙が流れ落ちる。父親が"タカチャン噛まなくていいんだよ!ゴクッと飲み込めばいいんだから!"とそれは怖ろしい父親に優しく言われると抗う術なくゴクンっとやるけどデカ過ぎて中々喉に落ちない、気持ち悪さに気が遠くなる。広島の牡蠣のデカさがオマエにわかるか!と小さい頃に言われても小っちゃい牡蠣しか知らねーし。その地獄がシーズンの間続いたようですが後年牡蠣が夢にまで出てきて父を苛んだようです。ところが酒を覚えてからは煮たら食えるようになって好物にまで出世したようです。ボクは好んで生の牡蠣を食べますが箸で口に運ぶたびに父は顔を背けます。これ見よがしに食べてやります。終生ナマ牡蠣怖いでした。
 
土鍋遍歴もかなりの数になりますが底のヒビ割れなどもありますが多くはフタを誤って壊してしまいます。割れたり取っ手をぶつけて欠いてしまったり。でも本体だけは捨て難くたまりにたまって健全な物も大中小含めると両手には余る数が積み重なっています。画像のものはお気に入りの織部です。奥のが10号の大型ですが蓋のガラは印判手ですね。手前は手書きで永く使っていますが底にヒビ割れが出来て若干漏れるようになったのでお粥をグツグツ煮て放ったらかして置いたら塞がったようです。この季節小樽の市場で巨大な鱈のアタマだけ買って巨大出刃でぶった切って塩をふって半日〆て鍋にします。小樽の土門の豆腐と春菊のみでモミジおろしポン酢でやります。先年亡くなった従姉に鱈の本体も入れよう白菜も入れよう牡蠣も入れようと言うと急に不機嫌になって俗物扱いされます。彼女を偲んでシンプルにタラヘッド主役でやります。実際鱈の身はどうでもよくなります。美味いですよ。ジュンコ鍋って言ってます。